• 日中中心に53年!激変そして変化とともに!中小企業等のコンサル業務に特化、また東京都日中・経済ビジネス委員長として、更にBizを展開~同時に地方創生、訪日IB促進に取組む~代表取締役秋澤文芳

     

    ことしもやっぱり中国から目が離せない!

    何しろ急拡大のインバウンドと越境ビジネス!

    このチャンスをなんとしても引きつけよう。

    そのためには 事前の調査や分析も必要だ。

    そして なによりも具体的なアクションも必要になる。

    いまから10年前の真冬の1月・・・

    業界団体JATAを「定年直前」に飛び出し、単身で北京へ。

    ツーリズムを更に進化させるために、そしてより深く

    研究するために、北京郊外の大学の門を潜った。

    希望に燃えての「入学」であった。

    何しろ周囲は現役の大学生や海外からの現役の留学生だ。

    文法や書き取り、記憶力の差は当然ながら雲泥の差がある

    はずだ。

    それらのマイナス面をカバーするためには早朝から深夜まで

    の必死のベンキョウ!でチャレンジするしかない!

    当時の門を潜ったのが「二外」と言われる北京第二外国語

    学院大学だった。

    思え返せば、まさに波乱万丈の 更に10年前の社会人

    生活でもあった。2000年から2010年という長い長い

    苦しい年月であった。

    バリバリの営業兼・企画担当者として 広い東日本を

    走り回った~というより 会社の事情も目まぐるしく

    変貌した時期でもあった 2000年時代だった。

    今 思うに、日本の社会も そして業界も激動の時代であった。

    好調な経済環境も激変し 一気に環境も変化した。

    それまで好調であった経済と生活のリズムは激変した。

    金融も、流通も社会全体が 今までとは一変した。

    1990年代の好調な、そして

    今まで順調であった国民の、庶民の消費に対する

    考え方もがらりと変わった。

    特に旅やレジャー、視察研修や企業の出張も大きく

    様変わりした。

    庶民の購買力も激変だ。

    平成元年の1990年直前、 国内も海外も・・

    私にとっては絶好調企画のときでもあった。

    1990年・・・

    一金融機関を通しての 国内九州旅行の募集

    企画も、なんと7千名を超える集客ができた。

    毎日、羽田から100名の団体が2か月以上も続く

    超大型団体も契約できた。 今で言う、売り上げ

    も5億円を超える金額であり、相手の金融機関から

    も大きく感謝された。利益でも1億を超えた!

    更に翌年も海外への企画となり、 数百名の豪州

    企画となり、一人当たりの単価も九州の5倍を超え

    る金額となった。

    年末にシドニーに訪れたのも その当時のなごり

    からだ。 当時の会社へ、取引先へ、そして友人

    を訪ね、当時を振り返った。

    そして2000年・・・

    更に年月は過ぎ去った・・・

    経済観光も変化し、そして社内の組織も大変革で

    あった。 組織変換にともない、従来の関東地区

    のみの地区から、一挙に面積が広がった!

    なんと東京から北海道道北までの超広域の組織

    編成となり、 社内をめぐる環境も激動の時代も

    迎えた。

     

    そんな時代の変換を経て、いつの間にか、私の目は

    中国へと向けられることとなった。

    その変換点が2010年であった。北京への単独シニア

    留学であった。

    あの中国の外務大臣のさんも籍を置いていた大学への

    入学であった。

    それからというもの、 私の生活もシゴトも考え方も

    大きく変わることとなった(続)